空海は、「秘蔵宝鑰」のなかで、釈尊を大日如来に比べれば無明の辺域と貶めていますが、大日如来は釈尊によって説かれた
「単なる法身仏」
であり、理論上に説かれた生国不明の架空仏です。
これに対し、釈尊はインドで生まれ、菩提樹の下で悟りを開いた実在の仏です。
したがって、実在(本体)の釈尊より理論上(影)の大日如来が勝れた仏とするのは本末転倒です。
空海は、釈尊が現実に姿を現して説いた教えは方便であり、これを顕教と下し、大日如来が説いた密教である大日経が真実の教えであると主張し、 「第一大日経、第二華厳経、第三法華経」などといって、法華経を第三の戯論と貶めていますが、
大日経は釈尊50年の説法中、
「第三時方等部に属する方便権教」
の経です。
釈尊は法華経の序分である「無量義経」において、
「四十余年には未だ真実を顕さず」
と説き、「法華経」に至ってからも方便品に、
「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」
安楽行品に、
「此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於いて、最も其の上に在り」等と説かれ、
「法華経こそが最勝の経であり、真の秘密教である」
と説かれました。
したがって、空海の説く「顕劣密勝」は釈尊の本意に背く邪義であり、法華誹謗の罪過に当たるものなのです。
参考「諸宗破折ガイド」68ページ